当院のご紹介
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院長紹介 ~ 歯科診療を通して家族の絆と健康を促進するプロモーターとは?

~院長 彌勒寺寛之をより知っていただくために~

小学生時代

宇都宮 歯科 院長 彌勒寺寛之は活発な少年でした。3歳からスイミングスクールに通い、小学2年生で個人メドレーをマスターし、卒業しました。
もちろん両親主導で通っていましたので、当時は泳ぐことよりも、スイミングの後に買ってもらうコーヒー牛乳が楽しみだったのを覚えています。
また、夏休みに田舎のおばあちゃんの家に遊びに行くと、帰りの車の中で必ず泣いてしまうおばあちゃん子で、ガラスのハートの持ち主などと呼ばれていました。

中学高校時代

土沢デンタル 歯科 中学になると、たまたま同じクラスの友人の親がテニスショップをやっていたことで、テニス部に入りました。
当時のテニス界はサンプラス選手、アガシ選手の2強時代で、憧れの彼らと同じラケットが欲しかったのですがお小遣いでは到底及ばず、また実力のほうも主に筋トレや壁打ち練習中心であまりコートに立てませんでしたが、とにかく夢中でボールを打つのが楽しかったです。

宇都宮 歯科高校時代は進学校だったこともあり、勉強一色…とはいかず、ただ試験のためだけに勉強していることにウンザリし、目的意識も持てずゲームばっかりしていたため、当然のごとく成績は急降下していきました。
しばらくはそんなぬるま湯のようなダラダラした生活が続きましたが、さすがに高校3年生の進路相談をきっかけに「このままでは俺はダメだ」という負け犬意識が芽生え、何とか這い上がろうと意識しはじめました。

歯医者を目指そうとした理由

宇都宮 歯医者 私が小さい頃、父は団塊の世代の競争をくぐり抜けた東大卒のいわゆるエリートサラリーマンで仕事はいつも忙しく、母も薬科大学を卒業して薬剤師として共働きをしていたので、家に一人でいることが多かった記憶があります。
その後10才の時、小学校4年生で転校を経験し、さらに中学校入学後は父は単身赴任で愛知や山形、富山と転々として週末しか家にいないことが多く、また母は美容学校の先生となり毎晩遅くまで仕事をしていたため、(愛情は十分受けて育てられ親にはとても感謝していますが、)どこか寂しかったという面もあったのかなと思います。
それで将来自分が親になった時にはできるだけ妻子の側にいてあげたいと思っていました。
そんな想いもあって、遠くにお勤めするよりもできるだけ自宅近くで、さらにコンピューターよりも人と向き合い、ふれあえる仕事、さらに人の役にも立てることがあればいいなと思い、歯科医師になることを決めました。

大学時代

歯科大学 鶴見大学に入学すると、自由な時間が増えたのでまずアルバイトに精を出しました。
引越し屋、家庭教師、ゲームセンターの店員、パン工場、ティッシュ配り、プラカード持ち、宅急便、居酒屋、深夜のコンビニ店員など、多い時はいくつも掛け持ちし、忙しくしていました。
また、大学の部活は水泳部に入り、キャプテンにもなりました。
他にもサッカーの日韓ワールドカップの影響でフットサルに夢中になり多くの大会に参加したり、クラスメートとバイクでツーリングに行ったり、船舶免許を取ってOBの先生の船に乗せてもらい、ついでにダイビングもしたりと遊びの才能も開花していきました。


宇都宮 歯科そんな大学時代も終盤にさしかかると、歯科医師として歩みださなければならない時がやってきました。
大学卒業後、研究員として大学に残る道もありましたが、アルバイトやキャプテンを通じて学んだ、世の中には色々な立場や考え方があること、そして人をまとめるにはリーダーシップが必要であること、などの経験を生かし、患者さんの気持ちを理解できるドクターになりたいと思い、迷わず開業医の道を選びました。

研修医時代

宇都宮 歯科 大学卒業後、母校を離れ、東京医科歯科大学に研修医として通うことになりました。
国立大学目指して選ばれた、北は北海道から南は九州までの色々な歯科大学の同期生が集まるところだったので、お互い切磋琢磨し、また優秀な先輩、先生方に揉まれ、自分自身が大きく成長できました。

勤務医時代

宇都宮 歯科 研修生活を終え、勤務医生活を歩みだしましたが、勤務先の院長がとても勉強熱心で、夜9時まで診療し、休みは日曜のみ、その日曜も講演会やセミナーに毎週のように参加されていたので、大いに刺激を受け、目指すべき歯科医師像に出会えました。当然患者さんからの支持も多く、技術的にも貴重な経験を積ませてもらいました。また、勤務医時代に多くの経営に関する書籍や自己啓発本などを読む習慣がつき、今でも読書が趣味の1つとなっています。

妻、美鈴との結婚

研修医時代に知り合った縁ですが、結婚していなかったら開業していなかったと思います。
もちろん妻が宇都宮出身ということもありますが、それ以上に相談できる身近な存在が妻、美鈴だったからです。

みろ歯科の院長となって

宇都宮 みろ歯科 勤務医時代は一歯科医師でしたが、院長となると診療中は歯科医師として、またスタッフに対してのマネージャーとして、そしてクリニック運営に対する経営者としての役割が求められ、毎日奮闘中です。ただ大学卒業後、必死に勉強してきましたが、歯科医師になったことを後悔したことは一度もありません。
もちろん楽しいことよりも、任された責任の大きさにプレッシャーを感じるのも事実です。それでも患者さんの笑顔のため、スタッフ、妻、息子のため、精一杯努力していきたいと思います。

最後に、私の今後の目標として、できるだけ患者さんのご家族皆の診療をさせてもらえるようなファミリーデンティストとして、また歯科診療を通して家族に笑顔が溢れるようなプロモーターとして地域医療に貢献したいと思っています。

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